勲六等単光旭日章叙勲 | ||
全日本回転初代チャンピオン | ||
次井 晨 | ||
明治45年3月6日生 | ||
中頚城郡妙高高原町大字赤倉549番地 | ||
赤倉スキークラブ | ||
学 歴 | ||
昭2・3・24 | 名香山村立妙高尋常高等小学校卒 | |
職 歴 | ||
昭2・4〜7・12 | 次井旅館家業手伝い | |
昭7・12〜現在 | 次井旅館経営 | |
昭36・5〜現在 | 新潟県観光施設株式会社取締役 | |
体育団体等役職歴 | ||
昭22・4〜53・3 | 新潟県スキー連盟理事 | |
昭28・5〜32・4 | 赤倉スキークラブ会長 | |
昭45・4〜57・3 | 全日本スキー連盟技術委員 | |
昭45・4〜57・5 | 全日本スキー連盟ジュニア委員 | |
昭45・5〜57・4 | 新潟県スキー連盟アルペン部長・ジュニア部長 | |
昭50・6〜58・5 | 全日本スキー連盟評議員 | |
昭53・4〜59・3 | 上越スキー連盟会長 | |
昭57・12〜現在 | 妙高高原町ジュニア育成会会長 | |
昭59・4〜平4・5 | 財団法人新潟県スキー連盟会長 | |
平4・6〜現在 | 財団法人新潟県スキー連盟名誉会長 | |
官公庁関係役職歴 | ||
昭39・4〜41・3 | 妙高高原町公民館運営委員 | |
昭44・10〜48・9 | 妙高高原町教育委員 | |
表 彰 歴 | ||
昭32・ 6・ 8 | 財団法人新潟県体育協会表彰(体育功労章) | |
昭45. 6・27 | 新潟県商工連合会会長表彰(地域商業振興) | |
昭49. 5.31 | 新潟県観光協会会長表彰(観光振興) | |
昭51. 9. 3 | 妙高高原町制20周年表彰(社会教育振興) | |
昭56.11. 5 | 新潟県教育委員会表彰(スポーツ功労) | |
昭58.11.27 | 財団法人全日本スキー連盟会長表彰(スキー競技普及振興) | |
昭60.10.10 | 文部大臣表彰(体育功労者) | |
平元. 6.15 | 財団法人全日本スキー連盟会長表彰(スキー競技力向上貢献) | |
平 3.11.3 | 勲六等単光旭日章叙勲 | |
平 8. 6.30 | (財)全日本スキー連盟創立70周年記念表彰(功労者) | |
功 績 内 容 | ||
次井晨は、明治45年3月6日、中頚城郡名香山村(現妙高高原町)に生まれた。 昭和2年3月名香山村立妙高尋常小学校高等科を卒業し、直ちに家業の旅館業を手伝い、昭和7年12月からは自ら次井旅館の経営者として旅館業に取り組み、地域の観光に多大な貢献をして、現在に至っている。 この間、一貫してスキー競技に情熱を燃やし、青年時代にはアルペン選手として各種全国大会の優勝を始め上位入賞を果たすとともに、昭和13年には世界選手権大会に出場するなど、全国に次井選手の名を轟かせた。 また、競技生活を続けながらスキーの指導にも打ち込み、多くの優秀選手を育成するとともに、昭和15年本県第1号の全日本スキー連盟公認指導員として、一般スキーの普及にも尽力した。 競技生活終了後は、一層スキーの指導に情熱を燃やし、赤倉スキークラブ会長、上越スキー連盟会長、新潟県スキー連盟会長、全日本スキー連盟評議員等の要職について、地域や県内及び日本のスキーの普及、振興に大きく貢献した。特に、昭和59年6月からは、財団法人新潟県スキー連盟会長として組織の拡充とスキー競技力の向上に努め、第46回国民体育大会冬季大会スキー競技会においては、新潟県スキー史上初の男女総合優勝の快挙を成し遂げ、スキー競技の発展はもとより、新潟県スポーツ界に果たした功績は多大なものと認められる。昭和39年から妙高高原町公民館運営委員、昭和44年から妙高高原町教育委員を勤め、豊かな経験と幅広い視野、確たる信念で町の教育行政の推進に尽力し、果たした功績は極めて大きい。 |
||
1.全日本スキー連盟役員としての功績 | ||
昭和45年4月から昭和57年3月までの間、全日本スキー連盟の技術委員として、スキー技術の向上と基礎教育指導員の育成強化に当った。昭和45年4月から昭和57年5月までの間全日本スキー連盟のジュニア委員として、ジュニア選手の育成強化に当たり、スキー競技力の向上に尽力した。 昭和50年6月から昭和58年5月まで全日本スキー連盟の評議員を務め、組織の充実及びスキー競技の普及振興に大きく寄与した。 | ||
2.新潟県スキー連盟役員としての功績 | ||
昭和22年6月に新潟県スキー連盟コーチに就任して以来、国民体育大会監督、県スキー連盟理事等を歴任した後、昭和53年には副会長、昭和59年には会長に就任し、平成4年以降名誉会長として現在に至っており、本県スキー競技の普及振興に果たした功績は高く評価されている。 特に会長就任後の昭和61年5月には、県スキー連盟を財団法人として設立し、組織の強化充実と財政基盤の確立を図りながらスキー競技力の向上に努め、平成3年2月に開催された第46回国民体育大会スキー競技会では、本県では初の男女総合優勝、天皇杯を獲得するとともに、女子総合優勝皇后杯も獲得する快挙を成し遂げ、本県スポーツの振興に果たした功績は誠に大きい。 |
||
3.上越協議会(上越スキー連盟から名称変更)役員としての功績 | ||
昭和53年から上越スキー連盟会長、昭和59年から名誉会長として会務の統括に努め、上越協議会を本県を代表する組織に発展された。昭和56年の妙高国体の際には大会の企画と運営に尽力し、大会を成功に導いた功績は大である。 | ||
4.赤倉スキークラブ及び妙高高原町ジュニアスキークラブ役員としての功績 | ||
昭和28年から4年間赤倉スキークラブ会長、昭和56年から現在に至るまで妙高高原町ジュニアスキークラブ会長として、妙高高原町のスキーの普及振興に努め、多くの優秀な選手を育成した功績は大きい。 | ||
5.競技者としての功績 | ||
名香山村立妙高尋常小学校高等科卒業後、家業の旅館業を手伝うかたわらスキー競技に情熱を傾け、昭和11年2月小千谷山本山で開催された第14回全日本選手権大会に於いて、回転優勝、滑降準優勝の偉業を達成したことを始めとして、各種全国大会で上位入賞を果たし、昭和13年2月にはスイス国エンゲルブルグで開催された世界選手権大会に出場するなど、本県のスキーの競技水準向上に貢献した。 | ||
6.妙高高原町公民館運営委員及び教育委員としての功績 | ||
昭和39年4月から2年間、妙高高原町公民館運営委員、昭和44年から4年間、妙高高原町教育委員を勤め、町の教育行政推進に寄与すると共に、青少年の健全育成に多大な貢献をした。 | ||
7.地域の商業振興及び観光発展に尽力した功績 | ||
昭和2年家業の旅館業に従事して以来、町の商業振興と観光の発展に尽力し、昭和36年5月には新潟県観光施設株式会社取締役に就任し、現在に至っている。この間、新潟県観光協会会長賞、索道事業経営功績表彰を受賞するなど、その功績は多大である。 | ||
(文中敬称略) |