勲五等瑞宝章に輝く | |
財団法人化最大の功労者 | |
氏 名 | |
小 林 忠 次 | |
生年月日 | |
大正12年1月24日生 | |
住 所 | |
小千谷市城内1−1−7 | |
所 属 | |
小千谷スキークラブ | |
主 な 経 歴 | |
昭和39年〜56年 | 新潟県スキー連盟理事 |
昭和39年〜現在 | 新潟県相撲連盟常任理事 |
昭和41年〜44年 | 財団法人新潟県体育協会評議員 |
昭和41年〜55年 | 小千谷市体育協会副会長 |
昭和53年〜平成11年 | 財団法人全日本スキー連盟評議員 |
昭和57年〜61年 | 新潟県スキー連盟理事長 |
昭和61年〜平成10年5月 | 財団法人新潟県スキー連盟専務理事 |
昭和61年〜平成5年 | 新潟県スポーツ振興審議会委員 |
昭和62年〜平成8年 | 財団法人新潟県体育協会常務理事 |
平成3年〜平成7年 | 財団法人新潟県体育協会 スポーツ振興基金管理運用委員 |
平成10年6月〜12年5月 | 財団法人新潟県スキー連盟常務理事 |
主 な 功 績(体育関係) | |
1.新潟県スキー連盟の組織化と財源確保を図るため、財団法人化に努め、初代専務理事に就任し、スキー連盟の再建に大きく貢献した。 | |
2.平成3年2月の第46回国民体育大会冬季大会(スキー競技)を実現させるとともに、大会では運営の中心的役割を果たしながら、自ら県選手団の役員として陣頭に立ち、当県初のスキー競技男女総合優勝に導いた功績は多大である。 | |
3.新潟県体育協会選手強化委員会副委員長として、当県選手の競技力強化に努め、低迷していた競技水準の向上を図った功績は、大である。 | |
4.昭和53年から平成12年5月まで、全日本スキー連盟評議員として国民体育大会の開催や各種全国大会の競技日程調整など、重要事項に積極的な関与をするとともに、同連盟の役員選出委員長、規約等審議委員長、国体委員などを歴任し、同連盟の業務推進に大きく貢献した | |
5.昭和39年より新潟県相撲連盟理事として、県内の相撲普及に寄与した功績は大である。 | |
輝ける表彰歴(体育関係) | |
昭和39年6月15日 | 新潟県相撲連盟会長表彰(新潟国体功労) |
昭和55年10月3日 | 小千谷市体育協会長表彰(スポーツ振興功労) |
昭和56年11月27日 | 財団法人新潟県スキー連盟会長表彰(スキー競技振興功労) |
昭和59年8月24日 | 小千谷市長表彰(スポーツ振興功労) |
昭和61年3月20日 | 内閣総理大臣官邸招待(スポーツ関係者との懇談の集い) |
昭和61年10月3日 | 財団法人新潟県体育協会表彰(体育功労) |
平成元年6月15日 | 財団法人全日本スキー連盟表彰(競技スキー功労) |
平成3年10月10日 | 文部大臣表彰(体育普及振興功労) |
平成8年6月29日 | 財団法人全日本スキー連盟会長表彰(スキー普及振興功労) |
平成10年11月3日 | 勲五等瑞宝章叙勲(スポーツ振興功労) |