経 歴 |
昭和36年〜平成13年 |
(財)新潟県スキー連盟理事 |
昭和38年〜昭和53年 |
(財)新潟県スキー連盟基礎教育部長 |
昭和38年〜昭和46年 |
(財)全日本スキー連盟基礎教育部専門委員 |
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(財)全日本スキー連盟デモンストレーター強化コーチ |
昭和41年〜平成 8年 |
(財)全日本スキー連盟公認石打丸山スキー学校長 |
昭和43年 |
第8回世界スキー指導者会議(アメリカ・アスペン) |
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デモンストレーター強化コーチ |
昭和45年 |
フランス国立スキー学校調査団団長 |
昭和46年 |
第9回インタースキー(西独ガルミッシュ・パルテンキルヘン) |
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主任強化コーチ |
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SAJスキー教程編集委員 |
昭和47年〜昭和53年 |
(財)全日本スキー連盟基礎教育本部本部員 |
昭和48年 |
第28回国体スキー競技会アルペン副競技委員長 |
昭和52年 |
第4回全国中学校スキー大会(上越国際)組織委員長 |
昭和54年〜昭和57年 |
(財)全日本スキー連盟理事 |
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(財)全日本スキー連盟基礎教育本部検定部長 |
昭和54年 |
第11回インタースキー(日本・蔵王)総監督 |
昭和56年 |
第36回国体スキー競技会(妙高)組織委員長 |
昭和57年〜平成 9年 |
塩沢町体育協会長 |
昭和58年〜平成 2年 |
(財)全日本スキー連盟評議員、役員選考委員、規約規程等改訂委員 |
昭和59年〜平成 3年 |
(財)新潟県スキー連盟常務理事、教育本部長 |
平成 3年 |
(財)全日本スキー連盟文部大臣認定社会体育指導者制度委員 |
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第46回国体スキー競技会(塩沢・六日町)組織委員 |
平成 4年〜平成13年 |
(財)新潟県スキー連盟副会長 |
表 彰 歴 |
昭和43年 |
塩沢町観光協会育成功労 |
昭和46年 |
(財)全日本スキー連盟SAJスキー教程編集功労 |
昭和48年 |
塩沢町スポーツ功労賞 |
昭和56年 |
新潟県スキー連盟組織功労賞 |
昭和59年 |
(財)新潟県体育協会優秀指導者賞 |
平成 元年 |
(財)新潟県体育協会功労賞 |
平成 3年 |
(財)新潟県スキー連盟スキーにいがた編集功労 |
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(財)新潟県スキー連盟優秀選手育成功労 |
平成 4年 |
(財)全日本スキー連盟競技スキー功労 |
平成 5年 |
新潟県教育委員会スポーツ振興貢献 |
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(財)全日本スキー連盟甲信越ブロックスキー技術選手権大会特別功労 |
平成 8年 |
(財)全日本スキー連盟70周年記念功労賞 |
平成 9年 |
新潟県知事表彰体育功労賞 |
平成12年 |
文部大臣表彰体育功労賞 |
平成14年 |
(財)新潟県スキー連盟永年勤続感謝状 |
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勲六等単光旭日章 |
功 績 内 容 |
昭和26年、スキー技術の向上と地域の発展を目指して、石打MHスキークラブを同志と創設、指導員の資格を取得する傍ら、県内外の指導に精励し数多くのデモンストレーターを育成。
世界指導者会議には日本代表団のコーチ、監督として参加、日本のスキー技術を世界にアピールし、国際間の評価を高めた。また塩沢国体(第28回、第46回)、妙高国体(第36回)、塩沢全中、塩沢全国高校、全日本スキー技術選手権大会等の競技役員のチーフとして、大会運営の質的向上を図った。第42回国体から連続県選手団本部役員として、選手団活動の重要な役割を果たしており、本県スキー技術の向上発展に多大な貢献をして来られた。 |