屈身の時代
 スキー王国にも陰りが見え始め、しばらくは低迷の時代が続いた。その中でもスキー史に名を残す名選手は存在した。
昭 和 5 1 年 
 38年を上まわるドカ雪、鹿児島で5つ子誕生の明るい話題に湧いた。第21回オリンピック大会はモントリオールで開幕、米大統領にカーターが当選
2・4〜15  第12回冬季オリンピック(インスブルック)
         本県より3選手、南雲美津代・藤木良司・久保田三知男が参加
2・14〜17  第31回国体スキー大会(富山大山)
           15Km成年男子2部に滝沢芳明、教員2部に品川達平、成年男子リレー優勝。女子総合順位は8位までに入らず参加得点1点のみに終わる。
2・19〜24 第54回全日本選手権ノルデック(札幌)
        90m級ジャンプに板垣宏志、男子リレーにカザマスキー2連勝
3・26  第2回アルペンジュニアスキー競技会(上越国際)
3・26〜27 第1回山本山クロスカントリー記録会
3・28〜4・l       SAJ第13回デモンストレーター選考会(八方尾根)
 20名認定中本県関係12名。平川仁彦 第1位にランクされる。
4・2〜4  公認スキー学校全国大会(鹿島槍)
      チームデモ女子1位 浦佐Aチーム
4・11〜13  SAJ主催オーストリースキー特別講習会(八方尾根)
4・15〜17   同上(蔵王)
         F・ホピヒラー教授一行12名が来日しての指導員特別研修会
5・1〜3  第2回カザマ杯ジュニアスキー競技会(燕温泉)
11・11  県連参与長谷川重造氏逝去
12・27〜28  第2回池の平クロスカントリースキー競技会
昭 和 5 2 年 
  200カィリ時代か始まる。アメリカ・ソ連が自国の沿岸から200カイリの水域を、「経済(漁業)専管水域」と宣言、反対であった日本も結局は認めざるを得なくなった。 日航機がポンベイ上空で日本赤軍にハイジャックされ、釈放犯6人と 600万ドルを引きかえに、アルジェ空港で人質が解放された。
1・9           胎内スキー場で、村上クのスキー教室に参加し斜滑降練習中の川内弘子さんに、左上方からバランスを崩して滑降して来たスキーヤーが激突、弘子さんは首の骨を折って間もなく死亡した。
1・20     51年4月SAJ及び県連の推せんを受けて渡欧した平川仁彦が帰国
2・7  県連顧問 横山隆策氏逝去
2・8〜10  第4回全国中学生スキー大会を上越国際で開催
      10Kmに荻原勝英優勝など本県勢活躍
         酒井伍作氏他14氏全日本スキー連盟よリジュニア選手育成功労賞を受ける。
2・17〜20  第32回国体スキー大会(大鰐)
         15Km成年男子1部佐藤志郎、2部滝沢芳明、教員2部品川達平、リレー成年男子優勝
3・3〜7  第55回全日本選手権ノルデック(札幌)
           男子30Kmに1位後藤一義、2位滝沢芳明、3位佐藤志郎とカザマ勢大活躍で、男子リレーもカザマスキーチームが三連勝を果した。
3・12〜14  SAJセッター講習会及び検定会(野沢)
     高波隆男、南雲美津代A級セッター合格
3・13〜17  SAJデモンストレーター選考会(八方尾根)
      男子本県より10名認定、女子岡田良子1位
3・19     胎内スキー場の衝突死亡事故で、中条署が加害者を過矢致死容疑で送検
3・31  第55回全日本選手権アルペン(岩岳)
      回転で小島景子優勝
6・         インターシー理事会に高鳥修県連会長、日本代表として出席。インターシー・アマチュア部会に平沢文雄理事出席
10・14     SAJポイント委員長小林喜代志氏を講師として、ポイント制基礎造り講習会を実施
昭 和 5 3 年 
 米ソ関係が冷却化し、アメリカと中国が接近していった。日中平和友好条約も成立を見た。中国とベトナムの関係が悪化し、中国のベトナム援助は停止された。 ショッピングセンターが郊外にのび、増加していった。反対派ゲリラによる管制塔の破壊などあって30日間延期されたが、成田空港が開港した。
1・7  第1回下越アルペン(五頭高原)始まる。
 それまでの国体地区予選会を発展させ誕生した。
1・16〜20  第51回全日本学生スキー選手権大会を赤倉で開催
     2部複合に滝沢甲子夫1位となる。
2・2〜5  第49回宮様スキー大会(札幌)
         伊藤高男70m級90m級のジャンプ2種目を制覇、複合で久保田三知男優勝
2・6〜9  第56回全日本選手権ノルデック(札幌)
      15Kmで佐藤志郎、90m級ジャンプで伊藤高男優勝
2・8〜10   第14回全国中学校スキー大会を上越国際スキー場にて開催。
2・19〜23  第33回国体スキー大会(野沢)
           大回転女子2部に南雲美津代、距離成年男子2部に加藤陽市、複合成年1部に中野秀樹優勝。ジャンプ陣は近年にない大量得点ができた。
2・26〜28  第56回全日本選手権アルペン(八方尾根)
     小島景子 滑降・回転・大回転を制し三冠王となる。
3・13〜17  全日本デモ選(八方)
        男子30名中12名、女子3名中2名、本県より認定される。
       清水史郎 第25回ユニバーシアード(チェコ)大会に出場
4・17  スキーメーカー「ハセガワ」が事実上の倒産
5・18      妙高高原土石流災害。妙高スキー部の松橋則子さん土砂の下敷きになり死亡
昭 和 5 4 年 
 韓国の朴大統領が側近に射殺されたり、イランの米大使館員が人質になったり、アフガニスタンのクーデターでソ連軍が進駐するなど、世界の耳目を驚かす事件が続発した。ニュージーランド南極観光機が墜落 257人全員死亡(うち日本人24人)。千葉県のトラ2頭が逃走し27日間の包囲作戦で射殺された。
1・3        湯沢町浅貝スキー場でスキー検定をうけていた栃木県の中学生が、ゲレンデ上方から滑りおりてきた、スキーヤーと正面衝突し死亡した。
1・16〜20  第52回全日本学生スキー選手権大会を赤倉で開催
1・28〜2・4 第11回インターシー日本大会(蔵王)
           総監督片山秀男、副監督平沢文雄、コーチ平川仁彦、関健太郎以下、ナショナルデモチームに本県より12名参加。
2・6〜8  第57回全日本選手権ノルデック(大鰐)
     70m級ジャンプで伊藤高男優勝
2・17〜20  第36回国体スキー大会(名寄)
        15Km成年2部に加藤陽市、成年女子1部5Kmに高橋美智子優勝。
3・12〜16  第16回全日本デモ選(八方)
     男子20名認定中、本県は8名
4・2  第57回全日本選手権アルペン(八方尾根)
     回転小島景子優勝
4・7〜22   春季ジュニアカップアルペンサーキットを、熊堂・関・燕で開催
6・1  小田急スキー場スキークラブ設立(会長井口真隆)
     平成2年スキー場名変更に伴い、ファースト石打スキークラブと改称
7・29〜8・1 県連ジュニアアルペン夏季立山スキー教室(室堂)
12・7  アストロシャンツェ新設陳情
昭 和 5 5 年 
 カズノコ買い占めの北商が倒産して人々は溜飲を下げた。浜田幸―のラスベガス事件や早大入試問題漏えい事件、大貫運転手が銀座で1億円を拾った話など、話題が多かった。大平内閣不信任案可決のあと、大平首相は急死し鈴木善幸内閣が成立した。モスクワ・オリンピックは、ソ連のアフガニスタン軍事介入に抗議した、日本・アメリカ・中国などがボイコット、参加83か国と大きくゆれた大会であった。
1・15〜19  第53回全日本学生スキー選手権大会を赤倉で開催
1・   吉川町小六角スキー場開設
2・4〜8     第29回全国高校スキー大会を妙高高原で開催、女子総合で小出高校初優勝
  全国高校スキー大会に参加した選手・役員らが「―昨年の土石流災害の復旧が大変なのに、大会を立派に開いてくれてありがとう。少しでも復旧に役立てて」とカンパした“友情の募金”が、妙高高原町に贈られ、さわやかな話題となった。 このカンパは監督会議の席上、前回開催地の秋田・小坂高の花海監督が提案し、これに各県が賛同したもので、募金額は、27万7千余円にも達した。
2・14〜17  第35回国体スキー大会(小樽)
        クロスカントリー、少年女子5Kmで平井礼子、成年男子2部15Kmで加藤陽市、少年男子リレー優勝
2・19〜22    第1回SAJ基礎スキー選手権大会甲信越ブロック予選会(石打丸山)
3・12〜16    第1回SAJ基礎スキー選手権大会(北毎道・大 和ルスツ)
         男子総合に、3・4・6・9位を本県勢が占める。相 田芳男男子2部の規定、応用に1位、デモ男子21名中10 名、女子5名中2名本県より認定
2・13〜24    第13回冬季オリンピック(レークプラシッド)に 佐藤志郎、久保田三知男、木下正市が出場。
4・2〜4  第13回SAJ公認スキー学校スキー全国大会を池の平で開催。
      競技の部で布施徹第1位、チームデモの部 で浦佐スキー学校1位
4・4〜5  日本スキー研究委員会(池の平)
     新教程他について研究討議
4・22    第36回国体スキー大会(妙高国体)第1回合同代表者 会(妙高高原)
7・17  中郷村、妙高国体バイアスロン競技会実行委員会設立
12・18〜19  SAJ公認旗門員認定講習会(赤倉)
昭 和 5 6 年 
 年頭は暖冬少雪で、妙高国体を控えてやきもきさせられたが結局は記録的な豪雪となり、春が来ても異常低温が続いた。 ポートピア81が神戸市て開かれ、盛況であったが、日本に来た外国人のイメージ調査によれば、「日本人は親切で友好的」「古い文化や歴史が失われつつある」「物価が高すぎる」「空港が不便」
1・15〜19  第54回全日本学生スキー選手権大会を赤倉で開催
1・26〜30     国体予選・県選手権を国体リハーサルとして妙高高原で開催
2・5〜11  第59回全日本選手権ノルデック(大鰐)
2・14〜15    日本初のジャンプ・ワールドカップ大会を札幌で開催
2・19〜20    第5回全日本オールドパワースキー大会を妙高高原町で開催
2・21〜24
第36回国体スキー大会(妙高国体)を妙高高原で開催。大回転成年女子1部に牛木真紀優勝。
3・1〜8  全日本選手権アルペン(大鰐)
3・11〜15  第2回SAJ基礎スキー選手権大会(八方尾根)
 男子総合1位佐藤正明、3位相田芳男、6位小林平康。 女子総合2位岡田良子
3・30     第8回カザマカップ争奪クロスカントリー大会(池の平)
7・ 金谷山オールシーズンジャンプ台竣工
            惜しまれつつ姿を消した県営大シャンツェに代わるものとして要望され、妙高国体を控えて県ジャンプ陣強化 の期待を担って計画されたが、土砂崩れ防止のための地 質調査等で手間取り、遂に間に合わず妙高国体が終って ようやく竣工を見た。
8・12     第1回創立50周年記念事業実行委員会(長岡シネマビル)
8・20  県連規約改正委員会(間瀬)
9・1  第2回創立50周年実行委員会(長岡)
9・14〜15 金谷山オールシズンシャンツェ竣工記念ジャンプ大会。全日本強化選手を迎えて開催。
9・20  第3回創立50周年実行委員会(長岡)
11・27     新潟県スキー連盟創立50周年記念式典挙行、祝賀会催(長岡シネマビル)
レルヒの会
 我が国スキー界の恩人レルヒの偉業を偲び、日本スキーの発展のために貢献することを目的に、昭和38年1月結成されたが、昭和55年5月一層の充実活発化を期して、会長樫野直一、副会長長谷川増吉、上石巌、飛田一郎の各氏、会員約 180名で再出発。事務所を上越市立綜合博物館に置き、組織強化・スキー資料収集・一本杖スキーの伝承を柱に、活動を展開している。昭和56年5月「人間レルヒ少佐」を出版刊行した。

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